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 目が覚めると、若太は病室に寝ていた。何故、とぼんやりと天井を見上げた時、ある違和感に気づく。

(あれ、俺まだ眼帯してんのかな……?)

 白い天井を見上げたはずの視界が、いつもよりも狭い。触って確かめたかったが、何日か眠りっ放しだったのだろうか体に力が入らない。どうしようもなくもう一度寝ようとすると、ノックもなく扉が開いた音がした。カーテンが閉められているので誰が来たのか分からなかったが、すぐにカーテンが乱暴に開かれる。対象が近付いてきて、それが従妹の月樹陽(つきひ)であることに気が付く。

 月樹陽は若太と目が合うと一瞬目を見開き息を飲んだ。起きていると思っていなかったのだろうか。若太は声をかけようとするが、唇が動くばかりで喉から声が出ない。

「……ちょっと待ってろ。今医者呼んでくる」

 無愛想に言うと月樹陽は肩の辺りで無造作に切っている髪を揺らしてまた部屋から出て行った。淡白な反応だが、彼女はそんな性格だし、驚いた様子を見せただけでも彼女が心配してくれていたのは分かる。

 若太は深呼吸し、目を瞑った。慌てなくても医者が説明してくれるだろう、と高を括ったのだ。

 

 その医者が、最悪の事実を持ってくるなど、この時の若太は考えもしなかった。

 

 

「……え?」

 医者の言葉の意味が、若太には理解できなかった。

 月樹陽が医者を呼びに行って物の数分で若い医者が2人来た。若干年かさに見える医師は若太の体調を尋ね、軽い触診をし、最後に若太の前でライトを何度か左右に振った。目で追えと言われたので素直に追ったのだが、何故か後ろに立っていたさらにやや年下に見える医者が微かに眉をひそめたのが見えた。

 それが何なのか分からないうちに、少ししたら母が来るという月樹陽の言葉を聞いた医師たちはその到着を待つと言って一度出て行った。そして、つい先程母が来たので改めて戻ってきたのだ。

 それから病室で、若太のこれまでが説明された。

 まず、学校で倒れた若太は救急車で運ばれたらしい。酷い熱を出しており、意識がないまま5日間寝込み、今日が6日目だったという。それだけでも若太には衝撃だったのだが、最大の驚きはこの後に訪れた。痛ましげに口を開いたのは先程問診してきた方の医者。

「私どもも状況を詳しく聞くまで分からなかったのですが――」

 そう切り出した後医者は若太の体調不良の原因を語った。

 

 急性緑内障。

 

 老人の病気だと思われているが、若年者でもかかる緑内障。視野の欠損がその症状であり、無自覚な慢性患者は日本に多数存在するらしい。慢性患者の場合は徐々に徐々に症状が進むが、急性は名の通り、一気に症状が広がる。しかも急性は目以外にも頭痛や吐き気などの症状を引き起こすため、緑内障以外の原因を考えて無意に時間を使うことが多いらしい。今回の若太が正にそれだ。運ばれてきてからしばらくの間は緑内障は疑われなかったのだ。

 しかし緑内障は――日本における失明の最も多い原因。そして欠損した視野は、現在の医学では二度と再生しない。

 すっかり細くなった腕を震えながら持ち上げる。左目に触れれば、そこは眼帯などない素の眼。それなのに、若太の視界に、自身の手は映らない。

「……失明……」

 医師が告げた結論を、若太は静かに繰り返す。薄ぼんやりとすら見えない、全盲の状態だと言っていた。

 若太が沈黙すると病室には重苦しい静寂が横たわる。お喋りな母は涙を浮かべてすっかり黙り込んでしまい、普段から辛口の月樹陽は唇を一文字に結びむすっとしていた。

 それからしばらくして、顔を上げた若太は――笑う。いつものように。

「ま、見えなくなっちゃったのは仕方ないよね〜。片方は無事だし、両方見えなくても生きてる先輩たちだってたくさんいるわけだしね。大丈夫大丈夫、何とかなるって」

 あまりの切り替えの早さに医師たちはヤケになったかと訝しがる視線を若太に向けるが、若太は笑みを浮かべるばかりだ。母は「また強がって」とぼろぼろ涙をこぼした。自分を抱き締めてくる母を力の入らない片腕を何とか上げて、若太は軽く彼女を抱き締め返す。

「ツキもくる?」

「……行かん。このど阿呆」

「あらやだ、ツキちゃんてば辛辣」

 それから大事を取って1日だけ入院し、翌日若太は退院した。さらに、家族を説得し切れなかったためにもう1日、今度は家で静養する。

 ようやく学校に復帰した若太は、今度は友人たちや教員たちに心配と安心とお叱りを3:3:4で一身に、しかも連日で受けることになるのであった。

 


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