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<知音>

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 数日後、孫権自らが十万の大軍を率い黄祖討伐に乗り出した。対する黄祖は江夏(こうか)の全軍を挙げてそれを迎え撃つ。

両群は(かん)(こう)で戦端を開くこととなった。


「甘将軍、敵軍は太い綱で各船をつなぎ合わせ隙を作るまいとしている様子。如何なさいますか?」

 兵の一人の問いかけに甘寧は、一斉に放たれる矢の雨を避けるべく後退を始めている自船団とそれが起こす波を一度見てから、大音声でのたまった。

「ここまで来て退けるかっ!おい、小舟を用意しろ。それとガタイのいい奴を舟ごとに五十人ずつだ、急げっ」

 言いながら自分も出陣の用意を始める。

「俊応、お前は俺と来い。抜かるなよ」

 早々に用意された小舟に飛び乗り、甘寧は側近くにいさせた周考を手招きする。周考は待ってましたと言わんばかりに返事をすると、足早に甘寧の乗る小舟に乗り込んだ。その後続々と人が集まり、百余隻用意された小舟には五十人がすぐに配置された。その報告が甘寧にもたらされると、すぐさま出陣の下知が響き渡る。

矢の豪雨の中を漕ぎ出す一軍。

それらは矢の雨を抜けるなり敵船団の横腹に突入し、すぐに船団をつないでいた太綱を切って回る。散り散りになる船団の一つ、敵先鋒の将の乗る船に甘寧が颯爽と乗り込んだ。それにまったく遅れずに付いて来られたのは、なんと周考だけだった。

「甘将軍っ!あれに敵将がっ!!」

 目敏く敵将を見つけた周考の声に、その姿を探していた甘寧はにやりと笑う。そして周考によくやったと言い残し敵将の元へと駆け寄った。道中行く手を遮った敵兵が二、三人それぞれ一刀の元に斬り伏せられる。それでもなお背後から槍を閃かせる者がいた。振り返ろうとした甘寧は、しかし短い悲鳴にその動作を止め、前進に専念する。思い出したのだ。今彼に唯一付いて来られた青年が背後にいることを。

「俺の背後は任せたぞっ、俊応っっ!!」

 力の篭った声に、周考は同様の声で返事をし、同時に刀を振り抜いて迫って来ていた男を一刀の元に斬り伏せる。噴き出す鮮血をものともせず、血で鈍った刀に気付くとそれを襲い来る敵兵の喉元に突き立て、転がっている死体から槍を拝借して更に前進する甘寧に続いた。

その時周考は戦場(いくさば)に立っているという危機感と、同じくらいの昂揚を一身に感じていた。

敬すべき将に付き従うのは今は己一人。

その責任感が。

背中を任されたその信頼が。

周考に通常以上の働きをさせた。

沸き起こる血煙の中、周考は己の目指すべき背中をただひたすらに追いかける。

「この将が首っ、甘興覇が貰い受けたぁっ!!」

 割れ鐘が如き声に敵味方問わず視線がその掲げられた腕に集まる。手の先にぶら下げられているのは血の滴る敵将の首。

周考は拳を握り締め小さいながらも確かな勝利に喜びの咆哮を上げる。声が幾重にも重なったのは、呉軍が次々に追い付いて来たからだ。あちこちで上がる歓声に、敵軍が徐々に崩れつつあることが伺われる。

周考はそれを聞きながら、顔に付いていた血を拭っていた。


 緒戦を勝ち取った呉軍はその勢いで夏口を攻め立てる。

猛攻に敵軍が瓦解し始めた頃、周考は甘寧が一人場を離れていくのを見つけ、慌ててその後を追った。同様に十数人ずつに分かれて仲間の兵達が動き出す。よくよく見てみれば、全員甘寧の元からの部下達だ。

「甘将軍、どちらへ?」

 追いすがった周考が無遠慮に尋ねる。甘寧はやっぱり付いてきたかと満足げな笑みを浮かべてひどく簡潔に言った。

「黄祖のことだ、夏口を捨て荊州へ逃げる。追い詰めるぞ」

 それだけの言葉に、周考は納得する。そして甘寧以下一軍に混じり夏口の東門の近くに伏せて待ち受ける。

 ややあって、黄祖が数十騎を従えて打って出てくる。甘寧は部下達に喊声(かんせい)を上げさせてその前に立ちはだかった。

黄祖は甘寧の姿を見ると、(まなじり)を吊り上げ馬上から怒鳴る。

「貴様っ、日頃から目をかけてやった恩を忘れたか?!」

 しかし甘寧も劣らず声を荒げて怒鳴り返す。

()かせっ、お前の下で功を上げた俺に貴様が何をした?海賊扱いして蔑んだだけではないかっ!!」

 そのあまりの剣幕に黄祖は逃れられぬと馬首を返した。甘寧は慌てもせずにさっと弓を手にすると、矢を(つが)え、弧を満月の如く引き絞る。そして、逃げ去る黄祖の背に矢を射掛けた。矢を受けた黄祖は一声悲鳴を上げると音を立てて落下する。浮き足立ったところに甘寧が敵陣に突入すると、敵兵は黄祖を助けることも忘れ我先にと逃げ出した。

周囲がガランとした頃には、黄祖の首は掻き斬られ、そこには血溜りが出来ている。

「先々代孫堅様の仇黄祖は、この甘興覇が討ち取ったぁっ!!」

 高々と掲げられた首級。堂々とした大音声。

促され、歓声がどっと湧いた。

 それが、呉の積年の怨みが晴らされた瞬間であり、同時に、乱世へ名乗りを上げる契機でもあった。







                             





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